2014年12月27日土曜日

【ワーク・ライフ・バランスだって?(前編)】新世代MR講座~オジサマ編~第6回 2010年2月号


<理想主義かもしれんな>
 典型的な2010年問題を抱えている我が社は、次年度を控え2月になってからはエリア内の営業所長たちで集まる機会が多くなってきた。
 支社会議室の片隅で、患者数の伸び悩みが原因で経営が傾いている取引先病院の情報交換をしていた向井所長は「ところで、おたくの新人は早く帰りたがったりしないの?」と別の営業所長から興味津々に質問された。
 いや、うちは外回りを終えてもデスクに遅くまで話し込んでいる中堅が多いから、若手には真似しないように口酸っぱく言っているよと深く考えずに答えたところ、「こっちなんて、長時間労働を本社に訴えるって息巻く新人が徒党を組んで困っているんだ」と、ありがたくない愚痴の続きを嫌になるほど聞かされるのであった。

 現場の一社員が本社宛に陳情したところで、社会人になったばかりでまともに取り合ってもらえないだろう、と嘆息する向井所長であったが、人事部も研修部も若手MRの間で悪評がたつと来年度の採用活動に支障が出ると結構、神経質になっているらしい。
 昨秋、うちの営業所に配属された新人たちも認定試験が終わってからはガス欠みたいな表情で連日ボンヤリしているな。仕事で抱えるやりきれなさに直面し、未来を思い悩むのは社会で生き残る厳しさを痛感する共通儀礼だろうと個人的に割り切っているものの、管理職の立場で部下に対して明快な答えを出せと言われれば急に歯切れが悪くなってしまう。
 否定されつつある“ゆとり教育”なんて、結局は根性が足りない未熟者の大群を作り出しただけなんじゃないか?詰め込み型教育に耐える強靱さを与えられないで、どうやって現代社会の混沌さに打ち勝っていくのだ。

 そんなときに限って、今日のエリア会議で「当社MRにおける長時間労働の改善試案」について中年管理職たちが難しい顔で協議しているのだから、世の中は本当に皮肉なものだ。
 けれども配布された社内資料を確認してみると、ベストセラー製品の特許切れについて危機感が広まり始めた一昨年以降、自社MRの平均残業時間は着々と増えつつあって、営業所の近くに住んでいる社員が多いにしろ入社5年目以内の帰宅時間は遅くなる一方だ。
 
 うちも連日21時過ぎまでパソコン画面と向き合っている連中がいて、仕事後にネットサーフィンでもしているのかと思いきや、学術データベースで難解な資料の検索をやっていたりする。長時間労働は人件費増大につながるのだから経営的には悪でしかないが、初期の試練を乗り越えた若手MRたちが、仕事に対して意外と自主的で真面目だという証拠でもある。
 予期せぬ転勤に振り回されてきた自分も、慣れない土地で妻が子供たちを抱えて苦労続きだったのは申し訳なかったと思うし、深夜帰宅が続いたために幼かった娘たちが父親の顔をなかなか覚えられなかったのは今でも後悔するばかりだ。

 でも、当時はどの職種もそれくらいの長時間労働で家族を養っていたのだから、資料に掲げられている“ワーク・ライフ・バランス(=仕事と生活の調和)”を謳う時代になったことは当然の反動かもしれないな。
 世界的な不景気に加えてデフレのご時世に、私生活との調和を掲げた理想論が通用するのか?うーむ、でも実現する努力なしには長時間勤務の実態もずっと変わらんのだろう。

 分厚い参考資料をラインマーカーで確認しつつ、向井所長は渋いデザインの老眼鏡片手に夕方まで続く長丁場に臨むのであった。





<それは新しい概念ではない>
 ある平日夜に某社営業所での講演を終えて帰宅しようとしたとき、21時半を過ぎてまだ数名のMRたちが車座になって話し込んでいるのを目撃し、「ずいぶん遅い時間まで働くんですね、まるで病院みたいだ」とこぼしたところ、これが日常的な光景です、と大手企業の担当MRが答えてくれたことがありました。

 製薬業界で遅い時間まで居残っている彼らがあくまでも少数派であり、全国のMRは大部分が定時ですんなり帰宅している、というのならば問題ないのですが、こちらが夜遅くに病棟診療を切り上げて疲労の色濃く青白い顔のまま家路を急ぐときにさえ、担当MRが真っ暗な廊下で律儀に待っていたという経験を何度もすると、“MRという仕事は、長時間勤務が必然なのか?”というやりきれない疑問が私の中にふつふつと沸いてきました。
 もちろん勤務時間がフレキシブルに変更できたり、訪問先からの直帰が可能であったりとMR業務に専念している時間以外は自由度が高いのかもしれませんが、各社で勤務の実情を漏れ聞くにつけ、日本のMRは人生のうち仕事に割く時間が長過ぎるように思えてなりません。

 そもそも、育児中の女性MRが社内で新たに規定された短時間勤務を実現するにしても、他の長時間労働MRとの業務振り分けを繰り返さなければならず、ピンチヒッターに代行してもらうのも人間が相手の職務ですから、交代するにも限界があるわけです。
 また、いくら社内に頭脳明晰で優秀な人材を揃えていても、担当施設間の移動と待ちに要する時間については期待したほど効率的に削減できないものです。
 MRとしてのプロフェッショナリズムを発揮している時間と、その他の補助業務時間、短時間で切り上げたい無駄を皆さん個々人が列挙すれば、おそらく最低限の必要勤務時間は現在の半分程度でしょう。

 ワーク・ライフ・バランスは3年ほど前から認知度が広まりつつある公私の調和概念ですが、これをMRという職種の生き方に当てはめて考えるとき、まずは“勤務時間の短縮”を達成する必要があるでしょう。
 そんなレベルのことは昔から重々分かっているよ、という皆さん。では何故、名だたる大手企業を含めて“短時間でMR業を全てこなす”という方向にこの業界は進めていないのでしょうか?

<MR業務のコンセプト再構築>
 端的に言えば現在、MRという職種の“業務コンセプト”があまりに曖昧で統一性がなく、その状況でも半自動的に成り立ってしまっているのが原因でしょう。
 
 給与水準は社会全体でも上位にあり、特許切れという難関があっても新薬の開発は地道に続き、後発医薬品メーカーであってもそれなりの売り上げが見込める業界。MRは安泰な職業だというイメージによって、素晴らしい経営陣の立派な号令のもとに動いていれば不満のない程度に厚遇されて、暮らせるだけの給料をもらえてしまう。
 熾烈な価格交渉にさらされるMSとも一線を画し、医薬品情報という値札のない商品を日々運搬する役割。自社製品の人気が全国的に高まれば営業ノルマだって無難にこなせてしまう場合があり、商売相手も医師・薬剤師・卸と決まった範囲に限定されている。

 結果的にMRは「医薬情報担当者」という名称にも関わらず、営業職の中で己の存在や働き方に関わる根幹部分を見失っているのです。
 “医薬品情報の要”を担う皆さんが、なぜ定時内で十分な業務を完了できないのかを考え始めるとき、これまで解決できていない多くの矛盾と向き合う勇気が求められます。
 そもそも、MRとは社会で何を担う存在なのか?

私は医師という職種に身を置き、大学病院から民間病院までを渡り歩くうち、開業医を含めて医療関係者で重要なのは“業務コンセプトの確立”だと考えるようになりました。

 医療という国家運営の根幹部分を占める領域で、この職種が何を担って何を目的としており、限りある国家運営費の中でどの程度の報酬を得る権利があって義務を果たさなければならず、そして“どれほど長く”持ちこたえなければいけないか、ということです。
 医師の場合は、全力疾走して長時間を仕事につぎ込み数年で精魂尽き果てて現場から離脱、という勤務を行うよりも、国民から医療行為を求められたときには応召できるのが本来の存在意義です。そのためには専門分野や経験の差こそあれ、多くの医師は人間社会の中で公私の両方を自主的に維持し、明日も医師のままでいなければなりません。ワークとライフを納得できる水準で揃えながら生き続け、社会からの必要性に答える道義的な役割があるのです。こういった発想を皆で共有することが、真の業務コンセプト構築になります。

 となれば、医療界においてはMRという職種にも企業人以外の面で、同水準の業務コンセプトを早期に確立すべきです。
 これまで日本では所属する企業文化の差も大きく、MR教育センターが示している以上の職業概念を医療職の“コンセプト”として生かすことが出来ませんでした。しかし、長時間勤務を嫌うことをきっかけにこれまでとは異なるMRコンセプトを打ち立てれば、結果的にそれがワークとライフの調和をもたらし、皆さんの人生は激変していくでしょう。
 次号では、その業務コンセプトについてさらに解説したいと思います。

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