2014年4月20日日曜日

【心の問題を考える ~ MRが認識していないストレス被害 ~】2009年2月 Monthlyミクス掲載

今月のポイント
①完璧な医療は不可能である事実と向き合う医師には、大きな心的ストレスがかかっている。
 医師と応対するMRは見えないストレス伝播に影響されやすく、無防備なままである。

 医療は生死に関わる特殊な業界で、企業側にはMRを保護すべく現況分析を行う責務がある。

<不完全さと向き合う>
 自分が完全無欠な人間で生命力にあふれ、病気知らずでどんなに忙しくても疲労とは無縁で、いつでもどんな環境下でも100%以上の実力を自在に発揮できたとしたら、それは予想もつかないほど“最高な状態”なのかもしれません。
 MRとして日々勤務している中で、短時間であっても仕事人としての“完璧な時間”を経験できたならば、もはや価値観すら激変してしまうことでしょう。

 ところが文明や科学が著しく進歩した現代社会にあっても、毎日のように押し寄せるストレスからは決して逃れることができません。仕事のこと、プライベートなこと、将来への不安や戸惑い、予期せぬ不幸。望まない事柄がとっさに姿を現し、出会い頭に衝突する瞬間、人は強い“心的な衝撃”を受けます。

 病院や診療所や卸に常時出入りするMRとして勤務する中で、あるいは医療現場を離れて本社の管理部門に異動したとしても、MRは医療界特有のストレスから逃れられません。
 昨今、メンタルヘルスと称される“心の健康”については産業医の努力もあって企業側の取り組みは大きく改善してきています。「適切な休養および業務負荷の軽減が必要である」と医師から診断書が出た場合、企業側は雇用者として社員を守る責務を果たそうとするはずです。働き過ぎが原因で、有能な社員に休職されては人材に投資したコストが回収できません。
 けれどもこの際、MR業務に伴う特殊な心的ストレスについて、個々へ適切な解説がなされているのかが疑問です。
 なぜかと言えば、医療に関連するストレスは、ビジネス社会一般で認識される内容とは異なる部分が多い。ありふれたストレスと混同されていないか、しかも対処法に誤りがないかが率直に心配なのです。

 私は勤務医として医療界で過ごす日々の中で、病気を扱う業種に独特のストレスが「医療者を通じて無防備なMRにも伝播しているのではないか?」と危惧するようになりました。
 しかも防御側の自己認識が曖昧な状態で、好感を持たれるようにオープンな姿勢を良しとするMRたちを、じわじわと静かに浸食していないのか?

中でも医師からMRへの見えないストレス伝播。
 “人は完璧ではない”、そして“生死に関わる職種には独特の心的ストレスがある”という2点につき、今回は述べていきたいと思います。

<医療は工業とは異なる>
 医療には完全さを保証できないという大原則があり、どんなに緻密で合理的な戦略を積み重ねて治療にあたったとしても、すべての患者の将来を完璧には予測できません。
 感染症、悪性腫瘍、生活習慣病など多くの分野で次々と優秀かつ副作用の少ない医薬品が開発され、医療機器は驚くほどめざましい進歩を遂げてきました。間違いなく、この半世紀は人類史上で最も医療技術が発展した時代と言えるでしょう。
 とくに先進国では医療保険制度に不備を抱えつつも、近代的な治療を大多数の国民が公平に受けることのできる機会が広まり、医療サービスの普及に伴って求められる治療結果も厳しく言及されるようになりました。

医療行為は現代の医療水準に照らし合わせて妥当な判断に基づいていたか、あるいは良心と職責に反する点がなかったかなどが検証され、一昔前には治療法すらなかった疾患分野での医療訴訟も増加傾向を示しています。
当然、医師には“誠実で合理的な医療行為を患者の区別なく行う健全な態度”が求められていますので、多くの医師たちは国家資格の医師免許をかけて診療にあたるわけです。自己の行いに対しては、重い結果責任を負っている。

 ところが医療は工業とは異なり、人間を相手に人間が行う行為であるため、完璧な精度を追求することが不可能な分野です。
 一寸の狂いもない機械部品を製作しようと考えるならば、適切な素材や加工方法や熟達した職人の勘などを総動員することで、限りなく高精度な部品を具現化することが可能です。もはや誤差を測定するのが困難な場合があるほど、現代の工業技術は発達してきています。
 もちろん医薬品や医療機器の製造に関しては、同様の発想で完璧な製品を追求すべきでしょう。完成品の不良品発生率を極限まで低くし、流通過程での物損を予防し、患者の体内に使用されて医療行為が成立するまでには、極端に高い精度を求めても良い。

 けれども医療行為には人為的な間違いが必ず発生するわけで、医療行為者側あるいは患者側の原因で思わぬ事故につながることが否定できません。
 たとえば12回の内服薬を飲み忘れて1回にしてしまう、または他院での処方と重複して同系統の内服薬を渡してしまう。医療行為は常に“単純な不確実さとの戦い”でもあるのです。

 医師や薬剤師のように医薬品の選択や供給に直接行為者として関わる職種では、責任を持って“不確実さ”と常々向き合っていなければなりません。
 確率的にはまれであっても間違えないようにしなければという心的ストレスが発生し、“人の命に関わっている”という一種の恐怖感はどこかにつきまとって消えません。マスコミなどで医療ミスの報道を見ては、「いつかは自分も・・・」と不安に思うのはごく普通の感覚です。

 とくに医師は不完全さを抱えた医療業界で長い時間を過ごし、しかも臨床医であれば専門科に関係なく患者の生死と向き合う運命から逃れられません。
 言葉でうまく表現できないけれど、漠然とした不安感が漂う、そんな気持ちになる。

<生死を背負う重責>
 現在は臨床研修制度の義務化に伴い、免許を取得しても新米の医師2年目までは正式な主治医となることができず、必ず指導医のもとで診療にあたることが規定されています。
 では医師3年目を過ぎればもう大丈夫かという話でもなく、修練の成果として医療ミスを起こす確率は減少するものの、主治医として同時に複数患者の病態を把握するという任務が増していきます。
 適切な知識と技術取得に伴い、さらにマルチな役割を自然と求められるようになり、当該学会の専門資格も必要となる。臨床経験を積むほどに医師の仕事内容は重みを増していくわけです。

診療行為において、医師がもっとも懸念するのは適切な治療法を選択しても有効でなく、予期せぬ合併症や病態悪化によって担当患者が致死的な転帰をたどることです。
“死と向き合う”状況では、どんなに経験豊富な名医であっても平常心ではいられないでしょう。医師は機械ではありませんから、事前シュミレーションや鍛錬だけでは乗り越えられない葛藤を抱えつつ、今日も生きていくしかない。

治療中の受け持ち患者が残念ながら亡くなり、遺体を霊安室から見送った夜であっても、帰宅すれば夕飯を食べて風呂に入り、家族と会話をして普通に眠り、翌朝には出勤するという日常の生活が続くのです。
医師として知り得た内容を口外してはならないという守秘義務を課されている以上、自らの経験をペラペラと他人には話しません。臨床医の心には年単位で積もった“微細な傷”があるのでしょうし、それを医師同士で相談することも少ない。

人間の死に直接関わるストレス、つまりは自分の腕時計が臨終時間を決めるという非日常的な設定に慣れてくると、強いストレスに対しても強靱な耐性が出来る反面、どこからが正常な状況で何からが不自然な状況なのか、常識的な区別がつかなくなってきます。

私が臨床研修医の頃、救命救急センターで極端に切迫した状況下で医療を担っていると、短時間に次々と重症患者が搬送されてくることに圧倒されました。
疲労を伴う強烈な心身へのストレスには次第に順応し、患者の身体が物体として冷静に見えてしまうという不自然な感覚。あまりにも過酷な医療状況に自らを置いていると、そこに慈悲とか人間愛など医師として欠かせない基本精神を持ち込む余裕すらありませんでした。

医師は個人的な負の感情をむやみに表出することを望まれていません。面前の医師が急に泣き出したり、落ち込んだりしていたら患者は困ってしまうでしょう。そのため、無意識に自己の心を防衛する術を身につけていく。

<二次的な医療ストレス>
 さて、あなたが担当している施設で出会う医師たちを考えてみましょう。
 専門分野も臨床経験も多種多様で年齢も様々です。院内で見かける表情に疲れが見えたり、不機嫌そうであったりしたとき、MRとしてどう接すれば適切なのか悩むのではないでしょうか?精神的に余裕がないときの医師からは合理的とは言えない返答をされたり、面談自体が急に中止となって困った経験も数多いと思います。

 実際、医師にとってMRは医療行為を受ける対象者ではありません。
 どちらかと言えば、横にそっと付き添っていたり、背後に気配を感じるような存在に近い。適切な医療行為を達成するためには相手と精神面で一線を画し、プロとしての立場を明確にしていることが重要です。

 この図式を考えれば、日頃から担当施設で良好な関係を築いていると自負しているMRが、医師から見えない医療ストレスを浴びやすい事実が容易に理解できます。
 つまり“MRは医師からの二次的なストレスを避ける準備をしていない”。
 もっと極端に言及するならば、MRという職種は医師からストレス被害を浴びやすい立場にも関わらず、近距離であまりにも無防備なのです。
 得意先から嫌われたくないという発想自体は正しくても、一般のビジネス社会とは異なり、“生死に関わるストレス”を間近で二次的被害として浴びてしまうというのは非常に特殊な状況です。医療以外の業種では考えにくい。

医師は経験と耐性獲得でそれを乗り越え、ある部分は心に秘めたまま生きていく。
しかしストレスの存在すら会社で教育されていないMRは、現場で初めてその見えない被害に遭ってから右往左往し始める。なおかつ二次的ストレスを浴びていることを自己認識できていなければ、それを努力が足りないからだとか、もっと頑張らなければと勘違いしてしまう。けれども明らかに、MRが解決できる範疇ではありません。

 厄介なのは、この“二次的医療ストレス”について製薬企業側で明確に説明できる人がおそらく存在しないであろう、という事実です。
 産業医ならば多少理解しているでしょうが、MRと医師の関係性について真剣に考察していなければ適切な助言は困難です。
「なんだ、もっと気合いを入れて先生方に会ってこい!」と上司が言えば、部下も「そうでしょうかねえ・・・、あの先生は怖いし話しかけにくいので」と萎縮していたりする。下手をすると、“医療は強大なストレスを伴う”という大前提すら、MRは教育されていないこともある。非常に危険なことです。

MRは自らの心を防御しよう>
 医師が抱える心の葛藤は、見えない形で周囲へと影響していきます。
 担当医師たちのちょっとした言葉遣いや表情に動揺し困惑してしまうMR。それに気づかない医師たち。
 どうして最近、こんなに仕事が大変なのかなとあなたが悩んでいたならば、その原因として“医師からの二次的ストレス被害”が混じっていないかを考えてみましょう。 

人と人の心は無意識の部分で共鳴してしまうことがあり、医師が抱えている見えない葛藤にMRが揺さぶられ、しかも自分の不調と取り違えやすい。
 医療現場での実務を経験していないMRは純粋無垢に、そして医療の何たるかを教育されていないまま近くで難解な混沌に巻き込まれてしまう。

当面は、自分の心を防御しようと意識するしかありません。
けれども今回の話をもとにあなた自身が深く考えることで、必ず有効な対処は可能です。さっそくこれまでの経験を振り返ってみてはいかがですか?

(end)

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