2014年4月13日日曜日

【MRと接待  ~それは必要悪か?~】2008年11月 Monthlyミクス掲載

今月のポイント:
①MRが接待行為に熱心であれば、医療情報よりも美酒美食が医師からの要求事項へと成り下がる。
②かつては容認されていたMRによる医師への接待は、医療コスト増大の一因と糾弾されるような時世となった。

 接待に代表される“甘えとタカリ”の構図を相互に卒業していくことが、医師とMRの関係を正常化していく。

<驚きの商習慣>
 それは私が医学部の臨床実習として市中病院を訪れていたときのこと。
 病棟や外来での多忙な実習に戸惑いながらも、医局では検食と共通の昼食を用意してもらい、くつろぐ勤務医たちの様々な雑談を聞きながら市中における医療現場を肌でひしひしと感じていました。

ある夜、大学から学生を預かる立場の部長先生が「何か旨いものでも食べにいこう」と誘うので、実習を終えた夕方に同級生たちと一緒に、見るからに高級そうな内装のお店に連れていかれました。
到着した私たちを出迎えたのは、洒落た内装とは不似合いなほど生真面目な印象を醸し出しているダークスーツ姿の男性でした。きちんとした身なりで、お辞儀も深くて言葉遣いも丁寧。それまでにも商品説明会で製薬会社の社員がノベルティグッズを配り歩く様子を目撃していたので、彼が“接待”目的で同席していることは医学部生の私にも分かりました。
その部長先生は専門分野では臨床・研究ともに全国で知られた存在とされており、学生身分では到底支払えないような高額な料理の数々と美味しいお酒を堪能しながら、その彼が笑顔を駆使して部長先生の真横で御酌をし、さかんに相槌を打っているのを私たちはぼんやりと眺めていました。今でもなめらかにお世辞を言い、ご機嫌をとり続けているMRと、高笑いする部長先生の姿が思い出されます。

医学部の在学当時、私は製薬企業の営業担当者を“MR”と呼ぶことを知りませんでした。
そのため市中病院の部長を接待しているのがMRという職種で、それが世間的に広く当たり前のように行われている普通の営業活動なのかも判断できませんでした。可愛いキャラクター絵柄が入ったボールペンやらクリアファイルやらを、医師にも学生にも無料で熱心に配り、説明会のたびに「よろしくお願いします!」と機械みたいに繰り返す人たち。重そうな黒カバンを横に抱え、院内のあちこちで立っているスーツ姿の男性たち。宴席ではソフトなお世辞を並べて褒めあげ、それに上機嫌な笑いを返す医師たち。
社会的な免疫力を備え付けるにはあまりにも閉鎖的な医学部環境では、世間での妥当性とか正当性とかの観念を学ぶ以前に、眼前で繰り広げられるMRの振る舞いが“意味も分からないまま”既定事実として刷り込まれていったような気がします。

彼らの職業名称をきちんと知ったのは臨床研修医になって各科をローテートしてからです。
でもお互いに面識がないので、私たち末端の医師は名前では読んでもらえない。MRというのは、顔なじみとなった医局員には「先生、うちの製品に関係する新しい文献をお持ちしました!」と前のめりに話かける割に、臨床研修医は“その他大勢”という扱いが続きました。「まあ、そんなものなのかな」と当時は疑問も興味もわきませんでした。

<処方医にしがみつくMR>
ガラッと状況が変わったのは、入局後に派遣先病院でレジデント(修練医)になってからです。
まだ駆け出しのスタッフ身分とはいえ、入院患者さんの主治医となり、病院当直も一人前としてこなす。指導する部下としての臨床研修医もいる。外来担当医表には自分の名札が並ぶようになり、定期的に患者さんたちを診察して処方箋を書いていると、とにかく各社のMRから頻繁に話しかけられる。しかも廊下では名前で呼び止められる。まだ自己紹介もしていない時点で正確に私の立場を把握されていることは、それまでのMRによる取り扱い状況と比較すれば、まさに激変でした。
つまり外来で継続的に多くの医薬品処方箋を作成し、患者さんたちがそれを薬局で購入して内服し、製薬企業にチャリン!とお金が入る。だから医師にもっとたくさん新規処方してくれと頼む。経費をかけて立派な研究会を主催・後援し、その後にお店で接待することだって売上増の手段としていとわない。

私の扱われ方が立場とともに変化していくのを体感したとき、「製薬企業というのは何と利己的なんだろう」と溜息をついたものでした。
いや、医師だって大変な混沌と葛藤の中で毎日を過ごす仕事。廊下で雑談がてらに愚痴をこぼしたり、講演会後の立食会場でMRと自由に話すことは気分転換になりました。でも横に並びきれないくらい密集して壁際に立っているMRたちを見るときは、個々の人間性をぐしゃりと押し潰しているような、業態としての平板さを感じざるを得ない。

異動先では程度の差はあれ、外来前でMRが長時間待っていたり、他科の医師たちにも様々なアプローチをかけている姿を目撃する。次々と講演会や研究会の案内を持ってきては、“終了後に懇親会を予定しております”といったパンフレットを手渡す。「また平日夜なの?」と私は文句を言う。

これまでの経験上、それは一流ホテルのバイキングであったり有名レストランでの会食であったりと、自腹では気軽に訪れることが難しいような場所も多数混じっていました。懇親会で医師たちが談笑している間、MRたちは隅でじっと用件待ちをしていたり、給仕係よろしく取り分けた料理を得意先の医師へ持って行ったりと時間外勤務が続く。異常ですが、ごくありふれた光景です。

さて、今日も全国どこかで繰り広げられているMRによる医師への接待活動。処方あるいは医療機器使用・購入権限を持つターゲット医師への飲食を含めた積極的な営業攻勢。増大する医療費の抑制が国の必達目標となっている現在、これら接待にかかるコストが薬価に反映されているとなれば、やはり無視できない問題です。これまでの私もその一部ということになります。
しかし何故、このような状況を長らく放置してきたのでしょうか?

<甘えとタカリを生みだす構図>
 医師にとって、無料あるいは格安で美味しい食事が出来る便利な状況。冒頭に短時間の製品説明をして、その後は何時間も会食が続くという妙な光景。
こういった場面では、MRたちも胸襟を開いて痛快にリラックスしていることさえあります。その場で消費した飲食の経費が、結果的に医師を信頼して処方を受けた患者が支払う薬剤費から出ていると思いなおした場合、“ターゲット医師への接近は手段を問わず重要だ”という企業姿勢は正当化できないのではないでしょうか?

 そして長年にわたる医師とMRとの関係性の中で、接待は大きなウエイトを占め続けています。
 当然、国公立病院のように厳しく行動制限を設けている場合もありますし、開業医であっても個々で受諾のスタンスが異なることも事実です。しかし、医師にとって“甘えられる接待”を主体的に選べるとなれば、中には必要性もないのに個人的な欲求だけで接待を要求してくることさえあるでしょう。ライバル会社に負けたくないという一心で要求に従っているうち、“医師からタカられるMR”という望ましくない実態が生み出されてしまう。
 もしもそれがMRの業績として、“有力医師と親しい関係を築いた”と社内で高評価されているのであれば、贈収賄と同じく相互の利益授受が既定化して変えにくい構図となるのです。
 一般のビジネス社会でも、常識的とされる範囲での接待は必要悪として許容されていることがある。“当社は懇親会ではなく接待を準備しております”と案内パンフレットに明記するわけもないのですが、MRの皆さんは今後もこの状況が続くと仮定したとき、医療情報職として満足できるのでしょうか?若い女性MRを都合良くコンパニオン代わりに、夜遅くまで時間外勤務させたりはしていませんか?

<情報収集に宴席は不要である>
 重要顧客とみなしている医師と打ちとけた雰囲気になるために、美味しい料理と酒が必要であると思い込んでいるのであれば、今日からさっさと前近代的な認識を改めましょう。
 会社経費で高級な料理を楽しんできた、という場合には業務経験でのラッキーな思い出として心の奥に格納してください。MRは“医師をおもてなしする職種”ではないのですから、もしも宴席が必要となれば自己負担分は領収証を発行して支払ってもらえば良い。

 そうすれば「今度はイタリアンがいいなあ~」と馴染みの医師から不本意な要求をされることも激減するでしょうし、「うちの会食は領収証を発行するようになりました。お時間も22時までですね。二次会と、帰りのタクシーチケットはございません。」と返答すればMRとしてのプライドも防衛できる。
 かつては問題視されにくかった医師とMRの不明朗なつながりについては、昨今の贈収賄事件で分かるように法的にも厳しく糾弾され始めているのです。薬剤費の一部は、医師への接待費用としてコストに上乗せされているとマスコミで実例を挙げて指弾され始めれば、“何と時代錯誤で自浄作用に欠けた業界か”と一斉に叩かれるのは目に見えています。その時に「宴席で医師から情報収集することは、重要な営業行為なのです」と言い訳しても一般社会からは理解されず、後の祭りとなるでしょう。

 タカられないMRにする、ということも医師とMRの関係性を正常化し対等の立場に近づけていくための大切な変化です。
 “医療貢献”は“医師へのおもてなし行為”とは全く別物なのであり、廊下での立ち話や医局での面談がスムーズに進行しないからと言って、にぎやかな宴席で真剣勝負をかけるのは誤りだと企業全体で認識している必要があるのです。
接待が黙認されている、あるいは禁止されている施設だということが現場のMRにとって気になる事項であるのならば、そもそも前提となる営業行為に道義的裏付けが伴うのかをあなた自身が真剣に悩みましょう。
必要不可欠な接待は、いかほど存在するのですか?

<MRの接待を観察してきて>
 これまで私が勤務してきた病院でも、それぞれの施設に合わせてMRによる接待の“黙認”または“禁止”がありました。
 他病院の医師と地域連携に向けた話し合いをする、といったお題目さえあれば高級フレンチで食事を堪能できてしまう。MRは会計をする姿を医師には見せない場合が多いので、割り込んで「私は支払います!」と言いだす機会すらない。

 医師と面談している時間が長いほど相手に強い営業インパクトが与えられるというのが真実であったにしろ、宴席で一定時間、ターゲット医師を囲い込むのとは別次元の話でしょう。
 しかも投入したコスト相応の現場情報が集まっていなければ無意味です。なぜ、接待の最後には自宅までのタクシーが準備されているだけで、MRからアンケート記入やインタビュー録画などの依頼が来ないのでしょうか?満腹で饒舌になった医師たちから本音を聞き出すのであれば、接待現場に居合わせていない同僚にも有益となるべく、会社の公式記録として会話内容を共有するくらいの気概を持ちましょう。
 MRの皆さんもプライベート時間を削って残業しているわけなのですから、「あれは楽しかったね」で終わらせない工夫が必要です。

 かつてはどこの医局内へも自由に出入りでき、土日も接待ゴルフで医師と長く交遊することが重要な営業活動だった時代もありました。それが今では過剰な利己的行為とみなされ、全国各地の施設でMRの訪問規制が敷かれ、医師とMRの直接面談を禁じている事例さえあるのです。

 医学部教育、臨床研修ではMRと付き合う方法を教えてもらえません。先輩や上司の振る舞いを真似つつ、医師ごとにバラバラの尺度でMRと相対している。悪意の有無に関係なく、MRの皆さんに迷惑をかけている場合だってあるかもしれない。
 両者の間に存在する溝を埋めていくには、へりくだる接待行為を卒業することに尽きる。明日からでも、あなたが実践できるのではないでしょうか?

(end)


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