2014年3月29日土曜日

【MRは何を生産するのか? ~職業的足跡を考える〜】2008年10月 Monthlyミクス掲載

今月のポイント
①MRは営業成績ではなく、医薬品情報という職業的足跡を生産している。
②日本の医学部教育では販売される医薬品に触れる機会が少なく、医師になってから現場で学んでいく。

 MRの足跡を科学的に分析することで、医療者相互の影響力を把握し、個人・会社単位で業務改善に応用できるはず。

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 平日の昼間、いつものように廊下で整列した黒スーツ姿の各社MRを医局前で見たとき、ある疑問が私の脳内をよぎりました。
 「この人たちは、じっと出待ちをしているとき、何を生産しているのだろう?」
 でも、MRは情報を運搬・収集し、分析して販売につなげることが仕事の基本であるので、何かを“生産”するという言い方はおかしい。期末の業務目標を達成したとか、当月の売り上げが何千枚になったなど、数字化できる指標でMRの優劣を判定するのが一般的で、それには営利企業の一員として妥当性もある。
 しかし、現実社会で生活している人間を指さして“この人は優秀です”と言った場合、販促MRとして営業機械的な完成度が高いことを表すのか、それとも医療現場での人間的なしたたかさ・忍耐強さを賞賛することなのか混乱してしまいます。

 でも、なぜか“生産”というキーワードにとらわれた私は色々と考えた結果、つまり生産するとはMRの“業務接遇における足跡”を示すのではないかと発想するようになりました。
 これまで出会ってきた多くのMRが時間軸の中で残していった“職業的足跡”。それが医療行為者として勤務する中で、知識面で不可分な存在として残り続ける。つまりMRは自らの医薬品・医療機器知識を相手に説明し伝えることで、“知識職としての足跡を生産している”とも捉えられます。勤続年数の長短に関わらず、MRは関わった相手の中に正確で重要な情報を残し、それを再確認する手段を伝達し、信用や実績をもってさらに補強作業をしている。
 ただ黙って出待ちしている以外にも、その足跡を有効に増やす方法を模索する時期にきているのではないでしょうか?
 皆さんは、自らがMRとして歩んできた日々の中で、どのような職業的足跡を残してきたのか?それを今回は取り上げていきます。

<医師の知識習得>
 熱心に情報提供を繰り返し、頻繁に顔をみせて信頼を得れば、医師はそのMRや企業に対して好意的な処方をするようになるので売り上げが増える、という昔ながらの考え方があります。
 営業戦略を練る際にも普遍性が高い前提条件のようにされていますが、果たして本当でしょうか?この場合、あらかじめ医師が医薬品知識を標準的に習得していることが大切です。年代に関係なく、MRの情報によって製品の優位性が判断できるからです。

 医学部での6年間を経験してみれば、こういった思い込みが相当な的外れであることが分かります。
 そもそも日本の医学部では薬理学についての教育時間よりも、生理学・生化学を中心とした人体構造を学ぶ時間のほうが長く設定されており、しかも臨床に深く関わる解剖学や病理学、各専門科での病棟グループ実習など“最低限、医師としてスタートを切ることができる”ためのカリキュラムが満載です。
 国家試験対策の勉強では、疾患治療に必要な医薬品知識はそれなりに網羅しているものの、現実の治療経験を積んでいない学生は薬物に対して丸暗記になりやすい。カルテ記載を独力で調べ、こういう種類の薬なのかと判明しても、処方経験のない医薬品はずっと“未体験の存在”でしかないわけです。ましてや製品名については医学教育上の配慮もあってカッコ付き記載ですし、その製造メーカー名はどこにも書いてありません。

 やっと臨床研修医になっても最初に四苦八苦することは“内服薬の名称をみても何の治療薬なのかが分からない”。
 持ち運びできる薬剤便覧をせっせと調べつつ、何の治療薬であってどのような効能・効果を持つ医薬品で、副作用としては何があるのかを懸命に覚えていく。上級医の病棟処方を真似する段階を経て、外来で患者に処方できる知識水準を獲得するまでは“曖昧な”医薬品知識を後悔しつつ、「もっと薬理学を勉強しておくんだったなあ」と思うわけです。
 膨大な医薬品の中から必要かつ適切な処方選択が可能となるまで、究極は“歩く医薬品辞典”のような状態になるまで、医師は試行錯誤も含めた知識の獲得を続けなければいけない。当然、取得レベルは分野別でばらつく。

 昨今、わが国では後発医薬品の推奨に伴って製剤名が更に増加しており、勤務先の採用医薬品以外にも覚えなければいけない名称が多くなり、当該分野で繁用していてもスラスラとそらんじにくいほど膨大な製品が溢れています。
 こうした難解な状況にあって、MRが準備して持ち込む情報は下処理済みでありコンパクトで取っ付きやすい。平たく言えば、専門文献より分かりやすい。

製品説明会などでMRの上手なプレゼンテーションを聞くと、保険適応・効果発現機序以外にも色々な疑問がわくのですが、医薬品という“道具”に対する専門的興味をそそる。
それは医師個人の知識世界にMRがつけた足跡となるのではないでしょうか?

<分析方法を工夫する>
 もちろん、多くのMRに接していれば医師も個別の情報について誰が運んできたか思いだせないこともある。あっという間に机で山積みになった販促パンフレットを眺めて溜息をつくほど、臨床医に持ち込まれる情報は多い。
 でも、そういった内容が医師それぞれの知識内に断片的であっても残り続け、実用的な事柄であれば消えることなく医療行為の基礎ともなりうるわけです。処方行為は、患者の治療経過と照らし合わせることで確実な実証となるわけですから、たとえば私の医療行為の中でMRが残していった足跡は“医師である宮本”の医薬品知識の一部となっています。情報を取捨選択し責任を負う立場ですから、不明点があれば自力で調べる。信じなければ使用しない。

こういった事実を、医薬品・医療機器業界はあまり気にかけてこなかった。瞬間風速的な営業攻勢で短期間の売り上げ増に一喜一憂し、“素晴らしいスタートを切った”あるいは“ターゲット医師を攻めれば必ず成功する”といった安直極まりない営業思想が上層部を含めて続いてきた。
でも、それは再現性や科学性に欠ける発想です。
各専門科の医師たちについて、彼らの知識のうち何%が自社MR起源のもので、情報の正確性がいかほどで、かつ治療分野への貢献度と医師からの信頼性が何%なのかといった、もっと緻密で実際的な分析を行うべきです。そしてMRは面会した医師と相互で、現場ならではの情報交換をしているわけですから得られた事項を羅列してデータベース化する。

日報に“A医師に新製品Bの販促資料を手渡し、重点的な処方依頼アピールをかけた。面会時間1分”のような意味のない報告を書くよりも、“Bの高齢者へ副作用についてA医師から質問を受けた。とくに皮膚障害発現が気になって、新規処方をためらっているとの発言あり。要対処、メールと文献で追加報告の予定”のような戦略的な記載のほうが良いと思いませんか?そこには自分が影響を受けた知識をも書き込む。“Bは高齢者にも他剤より安全に使用できるとして情報提供しているが、実際にはA医師のように処方選択しない事例もある。これについては本社での分析も望む。”
問い合わせた学術部からも連絡が届く。
A医師の年代は、医学部在学中に当該機序の薬剤については教育されていない。そのため新規機序に対する信頼度が40歳以上医師群で低く、処方行為につながっていない可能性がある。A医師の当社MR面会率と信頼度は高いので、欧米での実績および日本での臨床成績をコンパクトに示して、まずは不信感を払拭すべき”。
ターゲット医師を攻めるのではなく、医師の脳内に医薬品情報という足跡を付けに行くという発想があれば、根性勝負のお願い行為に依存する業務から解放されるのではないでしょうか?

<軽視されてきたMRの足跡>
 振り返って、あなたが残してきた足跡はどうでしょうか?
 医師、薬剤師、看護師、MSなど職業人同士で与えあった知識。情報を専門職として扱っている立場であれば“共通の趣味話で盛り上がった”とか“C先生と仲良く遊びに行った”といったキャリアに関係ない経験ではなく、自らの意欲を高める契機となった時間を必ず持っているはずです。そして各営業所、各営業ブロックで既に分析しきれないくらいMRの足跡は蓄積されている。
 足跡を付けられた側が転勤してしまった場合、医療界の中で持続時間の長短があっても相手に残ります。MRの異動のたびにそれが社内でシャッフルされ、新たな刺激として人的資源を形成する。お互いの似た経験、苦悶や挫折を共有することが組織を豊かにし危機に強い信頼関係をもたらすのですが、相互を尊重するときプロ同士の“足跡”成績を評価する手段は有効でしょう。

 足跡を強調する理由は、それがMRとして働く人々が生きてきた証であり、職業人として医療を含めた社会そのものに与えたインパクトであり、決してMRは販促の“コマ”であって欲しくないという点にあります。
 経営幹部のインタビューを読むたび、「新製品の売り上げ目標達成のためには、MRを何百名投入して営業力強化を図る」といった発言が当然のように出てきますが、そういった物質を扱うような発想では、ただでさえ医療現場で情報提供と販促のジレンマに陥っているMRを無言で追い込んでいるようなものです。

しかも医師側から見れば、MRには“今月はこれだけ売りたいんです!”といった看板が掲げてあるわけでもない。
あの手この手で医師に取り入ろうと、会社ぐるみで接待やらグッズやら研究会後の飲食に資金を投入する限り、無料で受けられる側には甘える・たかる気持ちを抱く人々が少なからず出てきてしまう。談合行為ではないのに露骨に高額の接待を要求されても、営業ノルマを抱えたMRは毅然として断りにくい。「こんな仕事じゃないはずなのに」と我慢しながら働く中で、彼らから職業人としてのプライドとやりがいを奪う結果となる。
売上至上主義、製品シェア獲得、他社との競争に気を取られ、“金額を売ったMRこそ優秀”という評価基準を持ち続ける業界である限り、何十年たっても社会から本来の正当な評価を受けられないでしょう。

面会した医師たちにあなたが残した医薬品情報が“知識の足跡”として残り、その診療行為の基幹を成し続けているのであれば、医学部教育にも匹敵する素晴らしい成果ではありませんか?
MR自身も相手に“必ず残したい”足跡を意識して働くことで、持ち運ぶ情報の種類を変更したり、持ち込み方を工夫したり、顧客を追跡調査して情報の現存率を算出してみたりと科学的な分析をするべきです。非常に高度で限界のない、しかも知的に面白い作業になると思います。

ただ漫然と営業目標を掲げて達成させるように急かすだけでなく、知識専門職としての価値を高め、MRを医療界の情報ネットワークにしてしまうことを皆で考えましょう。
人間で成り立つ世界には、円滑な仲介役を果たす存在が必要です。経験年数やスキルの優劣に応じて、営業仕様を柔軟に変更しうるというのは、世界に通用する素晴らしいアイデアでもあります。

MRは“知識専門職としての足跡”を生産しており、それが医療者に知識を補充し補強する。足跡を残した側にも、生産結果に応じてスキルの向上や高評価を得ることができる。そして、今日もあなたが何年前かに足跡を残した人たちが医療現場で奮闘している。MRを介して、正確で有益な医薬品情報を取得している。
これって、なんだか誇らしくて、凄いことだと思いませんか?

(end)

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