2014年2月22日土曜日

【MR研修の問題点 〜経営幹部と現場との乖離〜】2008年4月 Monthlyミクス掲載

今月のポイント
① MRの研修には教科書的だけではない、医療現場の厳しさを体感する時間を組み込むべき
②懐古的営業方式でMRを廊下に置き去りにしているのは、現場を忘れた社内的発想が原因

③ 企業上層部は新卒MRに、大人の意味を積極的に教える研修と提言を打ち出すべき

<新人MRと新人医師>
 今年も新しい春を迎え、各社では就職戦線を勝ち抜き新卒採用となったMRの卵たちが大きな期待と不安を胸に抱きつつ、社会人としてのスタートを切る時期となりました。
 あるいは中途採用で他業種からMRに転職された方もいらっしゃることでしょう。
 現在では医師国家試験の合格発表が3月中に行われており、4月1日は臨床研修医たちが全国の医療現場へと歩み出す日でもあります。新人MRと新人医師、彼らがこれから進む道は同じ“医療に関わる仕事”でありながらも大きく異なっていきます。

 かつては医学部6年生にもなると、サークルの先輩医師らが後輩たちに対して医局への勧誘活動を積極的に行い、“いかに自分たちの科が将来にわたって有望であるか”そして“この専門分野を極めることがどんなに素晴らしいか”を熱っぽく語りかけるのが当たり前の光景でした。
 医学部生は医師免許を取得するよりも前に、将来専門とする科を既に決めている場合が多かったのです。まだ医師として実際の仕事をしていない時期に、現場で働く先輩医師たちからたくさんの経験談を聞くというのは医療を志す者として大変刺激的な時間でもありました。

 しかし現在では、そういった医師国家試験合格後すぐに専門科へ入局する慣習は弊害が多いとして廃止され、主要な科で臨床経験を積むローテーション研修が新人医師全員に義務づけられています。
 ようやく免許を取得した新人医師たちは、必修化された2年間において内科・外科・産婦人科・小児科などを順次回りながら、多種多様な医療現場を己の眼で見つめ、濁流に押し流されるような状況で“医療の現実がいかに厳しいものか”を身をもって経験していきます。
 どんなに素晴らしい学力と体力があろうとも、一人の医師として患者の生命に関わる責任は果てしなく重く、教科書的な知識だけでは到底向き合っていけないことを現場の荒波の中で学ぶのです。それは壮絶で悲しく、いかに心温まるエピソードを交えたとしても、白衣の中で心が強く揺さぶられるような日々です。
 個々人によって受け止め方に差があっても、医療がまだまだ完全な存在ではないことを共通体験するのが臨床研修の意義でしょう。そういった医療現場での実体験を通じて、将来どういった医師になりたいのかを働きながら考え決めていくのです。学生ではなく社会人になってからの進路決定には、医師であっても将来的な公私両立を思い悩むのです。

 一方、新人MRになるには競争倍率の高い就職戦線を何とか勝ち抜かなければなりません。
 就職氷河期が過ぎたとはいえ、人気企業には応募者が集中して会社説明会の予約を確保するのでさえ苦労すると聞きます。その後の適性試験やグループディスカッション、多くの個人面接などを経て、ようやく内定を得て、その会社のMRとして勤務することが決まるわけです。これは、かつての医学部生が新社会人になる前に何十年分の進路を決めていた頃と似通っていますね。
 けれども、MRと医師では鍛えあげられる“場所”に差があります。それが現場での見えない溝になっていることを、MR向けの研修では教えてもらっているのでしょうか?

私があちこちで聞く限り、新人MRの研修は“自社製品や担当領域疾患の知識”を机に向かって勉強し、講師から“習う”ことが中心となっています。
日進月歩の医学においては、かつての常識が古びたものに変化してしまう割合も高く、常に新しい情報を取捨選択して必要な知識を更新し続けることが求められます。
新人MRの出身学部はさまざまですから、大学で習得した知識とは別に新たな医学の勉強を仕事の前提条件として始めるわけです。そうなると、詰め込み式にテキストとにらめっこする受験勉強的な状況になりやすい。

さらにロールプレイングなどビジネス界全般で広く行われている実技演習やグループ討論が加わることもあるでしょう。多忙で変幻自在、しかも専門性が多岐にわたる医師たちにどう対処していくかは、非常に奥深い営業課題です。各社でも皆の知恵を集結して討論するのでしょうが、なかなか明確な答えが出せないことが多いのではと思います。
それは何故なのでしょう?
私は前述のように、MRと医師では一人前に育てられていく境遇がかなり異なることが大きな原因だと考えています。

<社内か、それとも患者の前か>
医師は社会において医療行為を担う職種ですから、臨床にかかわる者であれば常に患者と接しています。そして患者となった人々が必要としているからこそ、医師は存在する。 医療現場において医師は現代の医療水準に追いつき、患者の信頼を得つつ、自らに誠実でなければなりません。

一方、MRは、これまでの営業体制では、“医療の厳しさ”をまともに体感する機会がありません。
MR本人が患者の前で評価を受ける状況というのは稀なはずです。会社によっては診療現場の見学を取り入れている事例もあるようですが、これもその場を離れれば忘れてしまう。そのためか、MRは“医師からどう見られるのか”を過剰なほど気にしています。
実際は医療の主役である患者からどう見られるのかを気にすべきはずが、ターゲット違いの発想を長年抱え込み続けてきたのです。閉じた社内での討論結果の限界点とも言えます。

 昨今の世界規模の製薬・医療機器業界再編の中、経営幹部は金融市場や行政からの熾烈なプレッシャーに耐えつつ、自社の売上拡大や有力パイプラインの確保、そして会社自体の存続に躍起になってきました。景気の好不況にかかわらず、何とか増収増益を達成しようと現場にハッパをかけます。
 そして自社の将来的な業績向上を使命とする社内研修では、基本的知識習得以外には社員が数字を伸ばすことを優先して求めてしまい、MRがどうあるべきか考えるのを忘れ、“MRとしての思想”や“職業的な達成感”をないがしろにしてきたのではないでしょうか?
 こういった場合、研修では短期間で同じように習得できる営業ノウハウや机上での営業戦略が重視されがちです。実際に患者の前にいなければ、発想も内向きの満足へとなびいてしまう。

例えばコンピテンシー・モデルがあると聞けば、我先にと飛びついて実践してみる。“複雑至極で数字に置き換えにくい医療分野で、他人の優良営業を再現するのは至難の業である”ということくらいは直感的に分かりそうなものですが、医療現場ではない、患者不在の社内会議で導いた結論では違う答えになるようです。

 安直な知識網羅と、撫でるばかりの医療知識が現場であまり通用しないことは、今日も廊下で直立不動になっているMRたちを見ればすぐに分かることです。
 でも彼ら個々人が悪いわけではなく、こういった状況に自社MRを置きざりにしている経営幹部や研修担当者が最も責任重大なのです。

 医療現場は苛烈で厳しいという大原則を、なぜ企業は研修を通じ、徹底してMRに教え続けてこなかったのか?それを正確に伝達されないままMRになった新卒者たちが、医療現場で“理想と現実のギャップ”に苦しむときに、なぜ組織として正しい答えを教えてあげられないのか?
 たくさんの難解な会議を社内で開くよりも、もっと単純明解な答えを欲して、経営上層部も医療現場に立ってみれば良いことでしょう。廊下が本来の勝負場所でないことくらい、すぐに分かりそうなものですが…。

<懐古的な発想VS世界標準>
 いわゆるプロパー時代を知るMRからは、かつてのMRと医師がおおらかな関係性を持っていた昔話を聞くことができます。
 価格交渉権などをプロパーが持っていた時代、それは公私にわたって医師と深い付き合いになることも珍しくなく、業者との癒着と目くじらを立てられない寛容(あるいな未成熟)な風潮でもありました。医師にしても、会社組織の人間というよりはプロパー個人の資質を買って付き合っているという気持ちが大きかったはずです。
 プロパーが医局に出入りすることも、現在ほど厳しい制限がない状態でした。

 しかし個人的付き合いに医療者が依存することは曖昧で危うい。そして標準化できないために疑念と混乱を生むことになります。豪快で驚くような逸話・秘話のたぐいは業界内でひそかに語り継がれているのでしょうが、それを皆で共有はできません。 
 
時は流れて“世界標準”が優先されるようにグローバル化が進んだ現在、もはや「昔は良かった」で後戻りするような社会情勢ではなくなっています。医師を取り巻く環境や、薬剤師の置かれている立場なども制度改変に後押しされて、どんどん変化しています。

でも、あのプロパーと医師が親しかった頃を知る現在の経営幹部の場合、どうしても過去の成功体験を捨て切れません。
部下たちに「これからは世界規模の再編を生き残るため、最先端の新薬をどんどん創出し、分野別シェアで首位を奪還する。海外でもバリバリと売り上げていかねば、我が社はライバルに買収されたりして存亡の危機になるぞ!」と皆に檄を飛ばしながらも、どこか懐古的心情が内面を漂う。
“コール数を上げる→医師とたくさん面談する→製品使用増加”という原始的発想はいくら立派な旗のもとであっても、もはや過去の成功体験のひとつに過ぎません。
「ちょっとでも面会しなければ」と医師を待つMRの習慣も、もとは経営幹部や営業所長たちの“あの懐かしき栄光の時代よ、再び”的な心情が一掃されていないのが原因だと私は考えています。

<まっとうな社会人を育てる>
 とはいえ、私は過去を全て否定しようとは思いません。
 “ヒトとヒトは、常識的で誠実で成熟した関係を尊ぶ”ことは普遍的だからです。医療界がどんなに劇的な技術革新とともに進歩しても、患者に対して“いかに満足できる医療サービスを提供するか”がその根幹を成している。
 また、医療者同士はプロとしての役割をお互いに補完する任務を伴っています。その根本に立ち戻って考えると、医局でプロパーと医師がお茶を飲みながら雑談していたとき、何気なく話題になったことが重大情報であったり、またプロパーが内密に医師に情報を耳打ちすることもあったはずです。お互いに、人間同士として尊重しあえる関係性だからこそ自然と成り立っていたのです。
 ただ、時代に関係なく、私利私欲をむき出しにしては、揺るぎない信頼を得られないことは言うまでもありません。

 ですから、現在の経営幹部は“MRが信頼に値する社会人として、どう医師たちと向き合えばよいか?世間的にまっとうな大人になるには、どうしなければいけないのか?”を、過去の美談とともに雄弁に語りかければ良いのです。
 新人MRが相手であれば長年の職業人として、業界のプロとして、年代は違えども“目標となるべき大人”像を明確に示すべきです。数字や戦略ではない部分から、個々のMRや組織としての個性が導きだされるのですから。

 “臨床現場の厳しさを教えない・懐古的営業方式を放置している・新人MRに大人とは何たるかを上層部が積極的に教えていない”ことが、現MR研修の3大悪だと私は思っています。
 
CSRを追求するならば>
 製薬・医療機器会社における本来のCSR(社会的責任)とは何でしょうか?
 画期的新薬の創出、安定した製品供給、日々たゆまぬ改善努力などに加えて、“医療界に有益な人材を供給し続ける”ことも重要であると考えます。

 そういった人材をいかに意義深い研修を通じて、一人ずつ個性豊かに成長させていくか、また医療に関わる厳しさを社員皆に意識させていくにはどうすれば最善なのか。
 自発的でも応募的でも、何かしら企業としての個性と思想を打ち出すことも必要です。この社会の中で役に立っていること、MRとして成熟した優秀な人材を育てあげること、自社出身者を他業界でも立派に活躍できるような真の大人へと成長させていくことが求められているのです。

 そういった長期の展望を思い描きつつ、新卒者を迎えて各社が春の研修を行ってほしい。これまでの画一的で教科書知識優先の方式よりも、実はもっと大切な社会的目標があるという壮大な言葉を並べていただきたい。これを今年は各社で掲げてみてはどうでしょうか?
 会議室で居眠りが続くような退屈さを吹き飛ばす、とても斬新で活発な研修時間が生まれると思います。そして厳しい現場に出る前には、十分な予備知識と恥ずかしくない訓練をMRには与えるべきです。

 MRと医師が学ぶ道というのは、あくまでも医療の中心にいる患者のためにあります。社内で育つよりも医療現場で過ごすほうが真実を深く見つめられる。
 そのことを今年のMR研修では是非、皆さんで考えていただきたい。

         (end)

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