2014年2月22日土曜日

【脱・お願いします営業 〜職人的MRを育成するには〜】2008年3月 Monthlyミクス掲載

今月のポイント
① 社内での用意周到な事前準備と比べて、面会時にプレゼンの水準が大きく低下していないか再確認を
② 長い職業年月を積み重ねていくことで、すぐれた資質をもつMRを育てていくべき

③依頼第一主義から卒業し、MRとしての日々が充実した人生につながるように業界は変革すべき

<なぜ“お願い”するのか?>
 今日も、日本中の病院や診療所で、MRが孤軍奮闘しています。
 それぞれが自社の営業戦略や個人的ノルマを抱え、「このエリアではどうして上手く数字が伸びないんだろう?頑張っているのに・・・」とつぶやきながらも、ターゲット医師を担当施設の廊下で呼び止めては「うちの製品をよろしくお願いします!」と懸命にアピール。
 不機嫌そうに生返事をされたり、完全に無視されたり・・・。立ち止まってくれた医師には社内プレゼンで練習した“決め文句”をまじえて製品の有用性やEBMについて、学術資料を見せながら丁寧に説明。「ああ、後で読んでおくよ」と足早に立ち去る医師。

 そんな短時間のコンタクトを他施設でも繰り返しながら、だんだんと足が痛くなる。「もう夕方か、講演会の資料を仕上げに営業所に戻らなきゃ。昨日の接待は先生がご機嫌で夜遅くまでかかったし、やっぱり身体にこたえるなあ。この仕事、面白いことも多いけど、一体、何をしたくてこの会社に入ったんだっけ?」
 日報をまとめながら夜更けのデスクで、次の休日のことを考える。
「あっ、先生の希望で今度の日曜日はゴルフだった、また休みなしか。この仕事、プライベートな時間って、どこにあるのかな・・・。」終電時刻が気になりつつ、重たい身体にムチ打って帰り支度をいそぐ某MR

 さて、このMRは私が作り上げた“架空”の存在ですが、何だか自分の状況に似ていると感じた方も多いのではないでしょうか?
 医師である私はこれまで多くの年代のMRと接してきましたが、その様子を我が国の“平均的MR像”として構築すると、前述のような人物が出来上がります。もちろん製品分野、担当施設や地域によって特殊性を伴いますから、あくまでも一般論ですが、ほとんどのMRは“お願いをする”のが業務の核になっている様子ですね。
 先月号で述べたように、医師にお願いする手段としての出待ち行為も常態化しています。
 
では、なぜMRは日々“お願いします”を連呼するのでしょう?
 「別に当社の製品をお使いいただかなくて結構です、客観的データさえ見てくだされば」というMRがいたとしても例外的でしょう。
 大多数のMRが自社製品の使用権限を持つ医師に対して、直接面会してアピールをかけることにより売り上げノルマを達成し、“依頼すること=仕事をしている”感覚を持つ。上司から部下まで皆が長年、そういう発想と方向性であれば社内的にもあまり違和感がない。

 お願いする前の社内段階では、難解な製品知識の習得や関連する学術報告の分析、用意周到な販売戦略の立案など高度な頭脳作業を行っている。
 それなのに、いざ現場で医師と面談したときには、MRの決め台詞がそろって「お願いします!」になってしまう不可思議さ。MRはお願いをする職業なのでしょうか?

<お願いされる医師の立場>
 “医師の中でのMR像”に確定したものはないのでしょうが、製品の“使用(処方)依頼を聞かされる立場だ”というのは共通認識だと思います。
 新薬の販売開始時に担当MRが熱烈な製品名コールをかけることで、全国で右肩上がりに処方金額が伸びるという例もありますし、それが経営戦略では優先して重要だと考える幹部が多いのかもしれません。

 良い医薬品・医療機器というのは、医師にとっては大切な商売道具です。
 高機能・高付加価値の製品が結果的に患者の治療結果を向上させ、医療行為の質を改善させる。患者の人生を支える重要な役割を担うのです。常に副作用や合併症の危険は伴うものの、近代医療の発展において世界中の製品開発者と販売担当者がもたらした成果は、まさに胸をはって誇らしげに自慢できる功績でしょう。
 高い倫理的水準を求められる医療界では個人でも集団でも、曖昧さ・いい加減さを放置せず、常に自らを厳しく律していくことが求められます。自社製品が人々にもたらす医学的利益と使用リスクを同時に抱えつつも、地道に前進していく謙虚さが必要です。

 私は、MRが職業的プロとして医師と対等であるべきだと繰り返し主張していますが、これには“へりくだらない”あるいは“お願いすることが主な活動とならない”という意味を込めています。
 医師が医療に貢献してきたのと同様に、MRも医療界に貢献していると実感できる状況を作り直すことができれば、現在の依頼型仕事スタイルからは大きく脱皮できるのではないでしょうか?

 そして本来はMRと対面で情報交換すべき(したい)と考えている医師に対しても、不適切で無用な攻勢をかける回数が減る。「お願いします!」の営業を受け続ける側の気持ちすら変化させる可能性を秘めていますし、上下関係に陥りやすい医師・MR間の歪みを正すことも期待できるでしょう。
 MRという専門的職業を選択した皆さんが、これまで以上に日々の業務の中で“社会から尊敬されたい”という高い欲求を持つことで、個人の資質や意欲を伸ばすようになっていただきたいと思うのです。

MRを職人化する>
 世の中には素晴らしい伝統と精神、そして他人には真似のできない高度な技能を備える優れた職人が、多くの分野で活躍しています。人間国宝級の人から、その業界では誰もが認めているような卓越した技術の持ち主まで、個性的で社会に重要な価値をもたらす存在。世間から疑問を持たれることなく、“素晴らしい”と認められている職人たち。

 その域に達するまでには、若いときからの修行や親方からの厳しい指導、伝承に対する前向きな探究心、数え切れない失敗や挫折に耐えつつ、新しいものを生み出そうとする前向きで熱い気持ち、そして長い年月が必要です。
 簡単に真似ができないというのは、個人の身体に技術が染み込んで、もはや他に移しようがない段階とも言えます。

 医師は職人です。医学部生から臨床研修医、そして各専門科医や研究者となる道では膨大な訓練と勉強、精神的ストレスや試行錯誤を重ねていきます。医療は際限なく変化し続ける世界ですから、そこで中心を担う医師には自己鍛錬を続ける職人としての技術と意地、誇りが求められるのです。
 どんなに面会を繰り返してもMRが医師に合致した医療経験を得られるわけではありませんが、医師が体得した事柄を自己知識として解釈し吸収することはできる。
 自社製品を使用した際の興味深い症例や、治療効果が予想を上回った場合などには、担当MRは胸の高鳴りを覚えることでしょう。数字では感じ取りきれない意味を、それぞれのMRが経験として積み重ねていくことで、他人には真似のできない“職人的”な思考回路が組みあがるのです。

 実際、経験豊富なMRが持っている内容は、医師として患者の治療にあたっている私が聞いていても非常に面白い。きっとMRが私の臨床話を聞いても、興味をひかれる。そういった適切な面会経験を積むことで得た直感的な思考というのは、プロ同士としての対話では非常に有益であり相互の職業心を高める作用を持っています。

 その場面に“お願いをする”以上の価値があれば、別に決め台詞を連呼されなくても、医師は医療行為の合理的選択の中へ自然と当該品を組み入れていく。
 目先の結果が欲しくても、MRは決してへりくだってはいけないのです。職人的であれば、医師からの見方も変化しますし、営業テクニックや話術で短期的な結果を出そうという水準から更に上昇していけるはずです。
 こういった観点がこれまでの製薬・医療機器業界で、もっとも大きく欠如してきた思想ではないでしょうか?では、それを実現する方法は何かと考える。皆で思いつかないと判明したら他にも協力を求める。あくまでも柔軟に広く発想すべきことです。

 MR業界は近年、若手の採用増や中堅以上の人員整理などで、せっかくの人材獲得が流動的になりやすい現況です。数年で見切りをつけてMRを引退する人、あるいは異業種からMRへと転向する人。理由はいろいろとあるでしょうが、 “MRは長く続けてこそ価値が上がる職種”だと思います。
 従来のピラミッド型体制の中で、ノルマ達成や製品シェア拡大に一喜一憂するだけではない、“職人的MR”を長期に育成していくことが業界として必要でしょう。
 職業人としての理念がすっぽり抜け落ちたまま、過剰とされる人員の整理によって組織が新たに変革されたから良いという風潮を私はとても憂慮しています。これでは、認定資格を得ても、MRという職業が途中でイヤになる人が多数出てしまう。
 
<依頼行為からの卒業を>
 仕事には自らの社会的存在価値を手にする、という重要な意味があります。
 給料が高いからとか有名大企業だから、あるいは職業イメージが良いからといった理由ではなく、“MRが医療に必要な存在である”ことを皆で認識し、“社会からMRが尊敬される”状態へ持ち込んでいくような、大胆な発想転換が急務なのです。

 使用者である患者に自社製品を直接販売していないMRにとって、仕事上のやりがいと社会貢献度は年単位で働く上では必須です。10年、20年とMRを続けていくことでようやく分かってくる真理があるかもしれない。会社の収益や成長も大切だけれど、自分がMRであったことで医療の一部分が向上したかもしれない。
 それを自らが理解し納得できたとき、MRという仕事は大きな社会的見返りを皆さんにもたらしてくれるでしょう。

 私は現状の依頼行為自体が無意味だとか、まったく不要だとかを言いたいのではありません。これまでの“依頼第一主義”を脇によけつつ、もっとプロらしい厳しさを医師と持ちあって欲しいのです。
 現在の医療を変えていく、ひとつの有効な手段だと思っています。

 MRにも医師にも、さまざまな人がいます。
 例えば、営業成績が社内エース級MRの業務方法を詳しく分析し、杓子定規的に“コンピテンシーモデル”を打ち立てて皆で実行しようとしても、個々の医療現場における差異は複雑で微妙すぎて、統一した結果をもたらせないと私は考えています。
 しかし職業人としての“思想”や“方向性”については、MRそれぞれが自らの目標として適宜、持ち合わせておくことができます。

 他人に言われたままに動くのではない柔軟さ。良いと思ったことを貪欲なスポンジのごとく吸収し、それを相手にわたす双方向的な情報伝達の蓄積。経験年数や年代、男女の差異があったとしても、共通の職業発想基盤を持っていれば他社を含めたMR間でも分かりあえる幅が広がっていく。
 そういったMR像があっても良いと思いませんか?

冒頭のMRが年齢を重ね、「自分は長くMRを続けてきて本当に良かった。たくさんの苦労や挫折、困難にぶつかってきたけど、この仕事をすることで社会の役に立ってきた。それは自分自身で誇りに思いたい。」と言えたとき、この業界は大きな変革を達成したことになるでしょう。
 そのとき、医療の光景は新しい段階に到達しているかもしれません。私はそれを期待しています。
              (end)


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