2014年2月22日土曜日

【出待ちは善か?悪か? 〜密着マンマーク型営業からの脱却】2008年2月 Monthlyミクス掲載

今月のポイント
①皆で出待ちを行う現在の営業スタイルは、プロとしての職業的意義や将来性に乏しく時代遅れ
②医師へマンマーク型アプローチを繰り返すことは、MRの発展性を妨げてしまう行為

③MRから医師へのアプローチ法を変えていくことで、相互の関係性を変化させ専門職としての満足度も向上するはず

<医師を待ちかまえる意義>
各社のMRがきちんとしたスーツ姿で大きな鞄や資料袋を手に、医局前あるいは外来付近にキリっと立ち、目当ての医師が現れるのを辛抱強く待機している様子は、病院や診療所における日常的な光景となっています。
男女ともにスーツ姿で大きな鞄や資料袋を手に、医局前あるいは外来付近にキリっと立ち、お目当ての医師が現れるのを辛抱強く待機している様子は、院内で意外と目立つものです。
私はMRの訪問を受ける側ですが、もちろん出入りする全員を知っているわけではありません。
忙しい業務中に廊下を小走りで通り過ぎるとき、見知らぬMRから挨拶や会釈を不意に受けると、なんとも不思議な違和感を覚えてしまいます。病院の規模が大きくなるとMR数も増加するので、あちこちでMRが出待ちをしている状況に出くわす。
訪問規制を実施中の施設では、面会許可時間内になんとか目当ての医師と接触しようと、MRが一斉に立ち並んで、廊下が狭く感じるほどです。

なぜMRは出待ちをするのでしょう?
製薬・医療機器会社の業務は多種多様な内容があるのですが、自社が顧客にしている医師と出会える保証がなくても、じっと壁際で待機することの合理的意義が、私にはどうしても理解できません。
医師側から見れば「なじみの業者さんがいたなあ」と認識することはあっても、こちらから頼んでいなければ、“あのMRが立っていた”と横目で見る程度。つまりMRの来院目的がこちらに伝わらないまま、数秒で通り過ぎることもある。
足が痛くなるほど、じっと待ち続けるからには、あとで営業所に戻っても上司の厳しい評価に耐える成果を持ち帰るべきですが、実際はどうなのでしょうか?

毎日、担当施設に出入りしながら「こんなに長時間待っていて、何の意味があるのだろう・・・」と疑問を感じたことはありませんか?
出待ちは現在進行形なのに、その意義が曖昧なまま、すっかり業界内で慣習化して、一向に改善されず、MR職業的価値を押し下げているような気がしてなりません

<個人的付き合いに依存する非科学性>
 「あの先生とはいつも雑談で盛り上がるし、うちの会社が後援する研究会や懇親会の出席率も高いし→。週末のゴルフだってご一緒。私は先生から信頼されていますよ!」
 ▽担当施設の有力医師と公私にわたり懇意になったから、MRの仕事もうまく進むはずだ ▽信頼されれば自社製品の認知度も向上する
 ▽先生の処方行動や製品使用数が増加して、結果的に自らの営業成績も“全国表彰”されるくらいに大きく伸びる
 ▽ノルマを上回る派手な実績を上げていけば、若くして出世も夢じゃない。

 経験年数に関係なく、MRの中には、このようなシナリオを描き、面会を繰り返すことで医師と仲良くなる、あるいは宴席を含めて私的な信頼関係を築くことが“仕事の核”であるかのように考える人がいます。
 まるでMRが誕生したときから、認定看板に刷り込まれているかのように、医師との個人的な親密さを尊ぶような雰囲気が蔓延しており、業界内でもそれを否定しない風潮があるような気がしてなりません

 もっとも、MRと医師が仲良くなるということは、完全に否定されるべきではない。
 ビジネスの世界では個人的な信頼関係や親密さが、業務上プラスに働く場合も多い。

 両者は職業上の対面関係を既定事実として所有しているので、お互いの存在自体を疑問に感じることはないでしょう。それぞれが医療業界の中で重要な役割を演じていますし、オトナ同士がきちんと向き合い関わっていく中で、相互信頼も築かれる。
 仕事に限らず話がしやすいとかウマが合うといった幸運は、双方にとって業務での潤滑油のようなものです。
 ところが医師がMRを評価するとき、「仲良しだから処方を増やしてあげよう」という単純な発想が仮にあったとしても、短期間かつ限定的で、それが医師の永続的な行動になるのはごく少数だと思います。
 「診察中、昨日会ったMRの顔がふと浮かんだから処方選択した」という経験がある医師も少なくないと思います。多種ある医薬品の中からどれを患者さんに使用するか悩む瞬間には、MRとの短期記憶が影響することも事実でしょう。

ただし“処方をする”あるいは“医療機器を使用する”というのは医師に対して国家から許認可された、厳格な医療行為です。
実施する行為には効果効能と同時に、患者へ有害事象をもたらす危険性を常に伴っています。どの専門科の医師であれ、副作用のリスクを全く気にせず薬剤を処方することはないですし、「自分の診療行為がどこかで悪い結果にならないように」と、わけもなく無意識に思ってしまう。
特に初めて処方した製品によって、どんな治療結果が現れるか、患者と向き合う診察室の時点では完全に予測ができないため、神経を使います。
そういった“医療行為をするリスク”、あえて言うならば“医師であることのリスク”を抱えている中で「あのMRと仲良しだから」という単純な発想によって、医師が自らの医療行為を大きく変更するとは考えにくいのです。
臨床医はキャリアを積み上げる職人であり、医療行為には非常に高いリスクがつきまとうことを再認識していただきたい
また、MRが個人的に築いた1対1の関係性は、担当者の交代や医師の転勤によって容易に崩れてしまう。新旧MRの引継ぎ後は、施設内での情報収集や医師へのアプローチ法も変化するので、自社の認知度そのものが上下する場合もあります。
人間同士の関係である以上、MRがマンマークで医師を追いかける行為は、どんなに営業科学的な理論や分析で肯定的に補強しようとも、揺ぎない発展性と永続性を持たせることは不可能と言えるでしょう。

<出待ち行為は時代遅れ>
 もし、ある日突然、皆さんが自社に出勤したとき、部署の入り口やロッカー室前に白衣姿の医師たちが明るく挨拶しながら迎えてくれたら、なんだか異様な雰囲気に思えませんか?
 それも複数がずらりと並んだ場合には、どんな気持ちがするでしょう?

 勤務医としていろいろな医療現場に出向く中で、他の医師から「MRが待っていて本当に嬉しかった」という話に出会ったことがない。
 用件をかかえて部屋から出たところで不意に出くわすと、気まずくて困るものです。MRについて医師仲間で議論することも、「礼儀正しくない」「慇懃無礼」といった評判が悪い場合を除くと、あまり耳にしません。
 これは多くの施設でも共通していることだと思います。医師がMR自身のことを詳しく知りたいと思う理由も、人物的に興味をひかれる場合、知り合いの医師を担当している(していた)場合など限定的で、MRの業務本体には無関係です。

 もちろん時間的無駄を覚悟で、狙った先生を熱心に出待ちし、ようやく会えた医師からねぎらいの言葉をかけられたり、頻繁な訪問でMR本人の認知度が向上するという現状並みの成果は出るでしょう。
 しかし、私は“出待ち”という業界で長年、慣習化している受身的待機行為は、“時間的有効性”→時間を有効に活用しているのか、その“永続的意義”→永続することの意義はあるのかが今問われていると思うのです。これを皆が疑問なく納得できる水準で説明できますか?)科学的にもビジネス的にも、妥当性に乏しい行為と考えるべきでしょう。MRと医師双方にとってです。

「他社も同じように待っているから」「先輩からも習ったから」「上司からはもっと担当施設を熱心に訪問して来いと厳命されているから」 
こういった意義の曖昧さを抱えたまま、毎日あちこちの施設を順繰りに回っているMRは、扱う製品分野に関係なく、全国で相当数に上るのではないでしょうか?
 私は、もはや出待ちは“時代遅れ”だと思います。明確な目的がないまま、何を求めて訪問するのか了解できないままに、皆さんの貴重な時間だけを浪費しかねない。長時間、多くの場所で待てばMRに良い業務的成果をもたらすと言いきれますか?

 MRの業務時間の大部分を占める出待ち行為によって、その職業的専門性が低下し、旧来のプロパー時代へと存在を後退させる。さらに仕事としての満足感や達成感を手に入れにくくしている、“元凶”だと思っています。
 そして、出会う医師のためにもならない。

<密着マンマーク型営業のツケ>
 長年、製薬・医療機器会社は自社製品の使用権限を持つ医師に対して、“医師VS会社”という対面営業を基本に据えてきました。
 あくまでも医師へ正面からアプローチすることで、売り上げ実績を向上させるという、まさにガチンコ勝負”と呼ぶことができる。この経営思想はビジネスが学問的に発展する多くの医療先進国でも似通っており、たとえば米国でも医師にサンプル品を配ったり贈答品を送ったりする営業活動が、さまざまな批判はあっても完全に無くなっていません。
 
 各社は売れ筋製品を開発するのに莫大なコストと時間を投じています。そしてMRは医師へのガチンコ営業における最前線であり、ここでの小さな勝敗の積みかさねが結果として莫大な世界規模の業績へとつながる、という構図です。
 “MRと医師”という至極単純な関係を思えば、これは国の違いに関係なく全世界的な状況となりますね。どの国でも、さほど違いはないかもしれません。

 さらに日本に限って言えば、かつてプロパーと呼ばれていた時代から担当医師をMR1人あるいは複数で熱心にマークして囲い込み、自社のファンになってもらうという密着型営業がずっと推奨されてきました。
 出待ちという行為はあらかじめ仕掛けた陣形の中に、ふらりと出現した営業目標が通りかかるのを熱心に構えて待つという、古いスポ根的構図と捉えられます。
 MRの前を目標と異なる医師が通過する場合には、挨拶や会釈で自らの存在をさりげなく示し、足が痛くなった頃に先生と出会えれば、用意した学術資料や熟練した1分間プレゼンで熱烈攻勢をかける。
 でも、忙しいからと無視された場合には出待ちはただの徒労に終わりかねない。それらの繰り返しが日々、MRという仕事の中で続いていく。
 こういった非常にアナログ的でMR自身の将来性を予測しがたい営業スタイルが、現在も延々と全国で続いているのです。
 
 そもそも医師から「これからも私を出待ちしてくださいね」と頼まれたMRがどれほど存在するのでしょうか?
 医師に期待されない一方的な行為を、経営幹部側の論理と慣習で押し付けるというのは、長所よりも短所が多いのではありませんか?。
 経営トップが「我が社の戦略は、詳細な経営分析にあるように、MR一人あたりの面会回数を増やすことだ」と宣言すれば、現場MRは地道に実践するしかない。
出待ちを善悪で判断するのは極端ですが、これはMRにとっての悪しき慣習”だと思います。限られた勤務時間内で、自らを成長させる機会を無駄に削っているのです。
根底から変えても良い頃だと思いませんか?

MRから変化していく>
 多くの複雑な社会的事情や経済状況が医療業界には絡みついており、“目につく問題点をいくつか解決したら抜群に良くなりました”という展開はありえない。
 しかし、MRは多忙を極める仕事ですし、時間的な効率性を追求していく意味は大きいはずです。医師にも同様の改革的発想は必要ですが、都市と地方における医療体制や財政の格差、開業医や勤務医、常勤医と非常勤医、医療施設の規模、それぞれの専門科による職業的相違まで男女ともに医師の世界では関わる要因が複雑すぎて、その変更は容易ではないでしょう。

 でも、MR側が現在の出待ちスタイルから積極的に脱却することで、医師と対等なプロ同士の関係を構築できる可能性は十分あると考えます。お互いにとっての良い関係性へと変化するべきです。
 そのためには、まずMR側から従来のマンマーク型固定概念を改めていきましょう。極端に難しい話ではありません。出待ちというなんとなく“仕事をした”実感にとどまらず、医師と同じ目線で対話する、新しいアプローチが必要です。

 MRと医師が双方ともに損をしない、無駄な空白時間を作らない。
 毎日、職業人として努力するのだから、金銭的な見返りをしのぐ満足感を得たい。MRであることが誇りに思え、周囲からも尊敬される立場になっていただきたい。
 既存の営業スタイルからMRが前向きに脱却する手段を、これからは製薬・医療機器業界が真剣に考えていくべきでしょう
良いMRは医療業界に貢献している。
違和感を抱えたままでなく現状を変革しようと取り組むことは、MRを職業として選んだ皆さんの未来にとって、決して損にはならないはずです。
             (END

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